田岡は軽く両手を広げる。
「そもそも、与えられた立場や身分を大人しく受け入れてそれに殉じて行動していれば、無駄な争いごとや対立などは起こらないんだ。それなのに人間は、自由や権利などという言葉を振りかざして不必要に争いごとを起こし、挙句の果てにはその争いを正当な事であるかのように主張する。バカバカしいとは思わないか?」
同意を求められても、聡には答えられない。田岡も、答えなど求めてはいないのだろう。いつのまにか熱を帯び始めた言葉を止める事なく紡ぎだす。
「自由や平等の獲得だなどと言いながら、結局は他人より上に立ちたいだけなんだ。ただ人と争っていたいだけなんだよ。僕の目に悪戯をした奴らだって、自分より劣等な存在が欲しかっただけに思えるのさ。でも一般の学校では基本的にはみんな平等だから、だから子供は自分の手で上位を勝ち取っていかなければいけない」
少年は、ぐっと拳を握る。
「平等なんて考えが、争いの基なんだよ。最初からちゃんと上下関係を作っておいて、みんながそれに殉じていれば、なにも不必要な争いごとなんて起こらない。粗野な欲なんて出さなければ、みんな平和に暮らせるんだ」
間違っている。
聡はそう思う。なのに反論の言葉が出ない。
間違っている。それはわかっている。だが、田岡のどこが間違っているのだ?
漠然と納得のできない気持ちだけが広がり、毅然と相手の間違いを指摘できるだけの言葉が思い浮かばない。田岡のように、一切ブレる事なく持論を展開できるほどの持論が、聡にはない。
絶句したまま小さな瞳を大きくさせる聡に、相手はふふっと小さく声を漏らす。
「別にわかってくれとは言わないよ。金本には金本の考え方があるんだろう? 俺は金本が嫌いじゃないし、責めるつもりもない。手伝ってもらったのにこんな話をして悪かった」
「い、いや」
「でも、俺は唐渓での生活が嫌いではないんだ。だからそうやって憐れむような目で俺を見るのはやめてくれ」
憐れむような目で、見ていたのだろうか?
戸惑う聡から視線を外し、田岡は小さく伸びをする。
「さて、俺はこれから先輩に報告しに行くよ。金本、昼はまだだろ? おごりたいけど、また今度でいいかな?」
時間ないし、と申し訳なさそうな同級生に、頭の混乱する聡は、気にするな としか返せなかった。
メシか。
だが聡は購買へは向かわず、もちろんカフェテリアなんて洒落た場所にも向かわず、ブラリと校舎を出た。
食うなんて気分じゃねぇな。
唐渓という高校がどのような環境なのか、それを知るのに時間はかからなかった。転入なんてしなけりゃよかったと後悔もした。
正直、美鶴がいなければとっくの昔に公立へ移っていたかもしれない。
男女を問わずに生徒同士で諍いは起こるし、女どもはギャーギャーうるさい。頼みとなるはずの教師は役立たず。
学校って、もっと楽しいものなんじゃないのか?
小学生や中学生の頃、聡は学校が好きだった。家庭が寂しかったというのもあるだろうし、何より大勢の中で過ごすのが、聡は好きだ。成績なんて全然ダメだったけど、学校を休みたいと思ったことはなかった。
美鶴の行方がわからないまま迎えた高校生活。想いを告げる事のできなかった後悔でモヤモヤとしたものが胸の内にはあったが、それでも学校へ行くと、少しは気が晴れた。
学校がなかったら、俺ってどうなってたんだろう?
だが今、聡にとって学生生活とは、とても窮屈な代物だ。とにかく数学の成績をあげ、寄りつく女子生徒を振り払いながら送る日々。
転入してきたばかりの四月。新参者の聡が、生徒間の権力争いやストレス発散の対象になる可能性は十分にあった。田岡のような扱いを、聡も受ける可能性があった。そのような渦中に聡が巻き込まれないのは、自分を慕ってくれる女子生徒の中に、親の強い後ろ盾を持つ生徒が混じっているからだ。
そのような生徒を邪険に扱っている聡は、女子生徒から逆恨みされそうなものだが
「あのぶっきらぼうなトコロが素敵なのよねぇ」
と逆に慕われてしまう始末。
「くだらねぇ」
聡の立場を羨ましがる同級生の視線を、聡はうんざりと思い浮かべる。
生徒会がなんだって言うんだ。親の権力がなんだって言うんだ。俺はそんなのに媚びたりしない。
だが田岡は、その唐渓を居心地が良いと言う。
わからない。
俺は、あんなヤツらなんかと、付き合いたいとも思わない。
そんな聡とは対照的に、副会長の廿楽華恩へ擦り寄る義妹の緩。
唐渓祭の後に世代交代したから、今は新しい副会長にでも尻尾を振っているのだろうか。確か、何度か瑠駆真の元へ廿楽華恩の使い魔としてやってきた二年の女子生徒だ。
「ったく」
力任せに地面を蹴り飛ばそうとした時だった。
「…… き …とも … まだよなぁ」
校舎の陰から聞こえてくる声。思わず足を止める。
「まぁ どうせお前みたいなチビ、いつかはフラれるのがオチなんだよ」
「涼木なんて、お前には贅沢なんだよっ」
「バスケ部も廃部になった事だし、ざまぁみろだ」
声と共に響く鈍い音。
涼木?
聡が目を見開くのと同時に聞こえてくる、くぐもった声。
「おま… え、らには、かんけい、な…」
「あぁ? なんだってっ?」
威嚇するような声と共に、今度はやや激しくぶつかる音。聡は躊躇わずに飛び出した。
「蔦っ!」
その場の全員が振り向く中で、一人蔦康煕だけが地面に膝をつく。
「蔦」
土にまみれた姿を見るや、聡は全身を滾らせる。
「お前ら、何やってる?」
両手を握り締めて胸の前で構え、唇を噛み締めて周囲を睨み付ける。全部で四人。
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